病院の先生のこと、周囲の理解。大変だった事。【体験ブログ:第4話】
振り返ってみると、大変だったなと感じることが本当に多かったです
不妊治療を開始して3年が経過しました。振り返ってみると、大変だったなと感じることが本当に多かったです。
病院の先生のこと、周囲の理解、また情報との付き合い方が心を辛くしていました。
私の通う浅田レディース名古屋駅前クリニックは主治医制ではありません。
ですので前回受診した際と違う先生に当たるとその度に同じ質問をされることがありました。
一体、何のためのカルテなの?と思いました。またそれにより処方されている薬にも違いが出てくることがありました。
先生との話の中で一番辛かったことは、子宮内膜が全く厚くならないということが何度も続いたことです。
ある程度日数が経過するとホルモン補充をしているにも関わらずホルモン値が下がってしまうこともありました。
このことを先生に聞いてみると「数値が下がることはおかしい、同期していなければいけない」だけ返答でした。
同じ刺激方法では同じことの繰り返しではないのだろうか、違うこともしてみたいと先生に言いたかったのですが「わからないことだらけ」の治療であるがゆえ、「こちらに従えないのなら治療はしない」と言われてしまいそうで切り出すことができませんでした。
もちろん、違う先生に当たることで別の提案をしてもらえるというメリットもあったなと今振り返ってみて思う部分もあります。
周囲の理解が得られず苦しかったこともあります。
一番の味方であって欲しい主人の両親には今でも理解をしていただけていないと思っています。
原因が主人にあるとわかった、手術をしたいと申し出たところ赤ちゃんはおもちゃじゃないんだ、子供ができなければ犬でも飼って2人が仲良く暮らせる方法をとしか言われませんでした。
治療をしてまで子供を持ちたいという気持ちは理解していただけないのだと痛感しています。
もちろん、理解をしてくれている人のほうがとても多いのは事実です。
私の両親や友人、職場の人々は話を聞いてくれ力を貸してくれることもあります。
ただその分、心配をかけているのではないかと思いあまり治療の内容を深く話すことはできていません。
こうして周囲に話してみて気づいたことは「子供はまだ?」という話題から逃げたかったのだと思います。
誰だって結婚したら次は子供をと考えるでしょう。
不妊治療をしていますのでその話題には触れないでくださいと、無言の圧力をかけていたのかもしれないです。
情報との付き合い方も考えさせられることが多くありました。
今は、治療に関する知識があまりなくてもインターネットで検索をすれば何でも出てくるような時代です。
不妊治療に関する本も多く出版されています。
わからない、不安だと思うことを調べて情報を仕入れることはとても大切なことです。
しかし、こういった多くの情報に振り回されてしまってはストレスを抱えてしまうだけです。
私は病院で血液検査の数値を見ては検索をして、これではいけないんだと落ち込んでばかりでした。
また、私は冷え症なので冷えに良いと言われるありとあらゆるものを試してきました。
初めは目新しいものは楽しくて少しの変化が得られれば嬉しかったです。
ところが、これをしなければ、これをしてはいけないなどと義務となり仕入れた情報が我慢やストレスの元となってしまいました。
振り回されない、無駄な検索はしない、同じように不妊治療をしている人と情報や感情を分かち合うことも大切だけれどそう心がけるようになったのは治療から2年経った頃でした。