30歳から妊活を始めた私。その理由は。【体験ブログ】
結婚から6年。急に子供が欲しくなって
結婚してから5年ほどは、お互いに仕事や二人の時間が楽しくて子供はまだいいかなと思っていました。
それが6年目に入った頃、急に子供が欲しいモードになりました。
その時私は30才。
周りの友達は普通に妊娠して、問題なく出産していたのを見ていたので、私も大丈夫だろうと簡単に思っていました。
妊娠検査薬の結果は陽性・・・だけれど
そして半年ほど経った頃、毎月規則正しかった生理が遅れたのですぐに妊娠検査薬を試してみると、結果は陽性でした。
妊娠出産に対してそれほど多くの知識がなかった私は、すぐに周りの友人たちに報告していました。
中には「まだ超初期なんだからあまり言わない方がいいよ」と忠告してくれた人もいましたが、当時の私は嬉しさで頭がいっぱいで、その言葉の意味を分かろうともしませんでした。
そして病院の予約を取り、3週間後、初めての診察に臨みました。
計算でいくと週数は7週になっていたので心拍も確認できるだろうくらいに思っていましたが、診察する先生の顔が険しくなっていき、「小さい、うーん、小さいな」とぶつぶつと言っているのが聞こえました。
胞状奇胎と診断されて。
どういうことか教えてほしいと頼むと、
「胎嚢は見えるけれども、大きさが小さすぎるし、中には赤ちゃんが見えない。しかもその胎嚢の周りにぷくぷくとした泡みたいのが見える。これは胞状奇胎だと思われます。」
その言葉を聞いて私の頭の中は真っ白になっていました。
妊娠本で読んでいて、そしてこれだけにはなりたくないと思っていた恐ろしい胞状奇胎に、今まさに私がその状態になっている、そう思うと体の震えが止まりませんでした。
先生は「この後、自然に出てくるとは思いますが、きれいに出ずに残ってしまった場合は手術をして出さなければなりません。
まだすぐには納得できないと思いますので、また2週間後に見てみましょう。」と言ってくれたので、とりあえずその日は、旦那に支えられるようにして家に帰ってきました。
吐き気やムカムカ感などのつわり症状も出ているのに、お腹の中には赤ちゃんがいないなんて…と思うと涙が出るばかりでした。
次の診察でもやっぱり胎嚢の大きさは変わらず、さらに泡のぷくぷくみたいなのは増えていました。
稽留流産で手術。そこから1年は毎月病院での血液検査
診断は胞状奇胎による稽留流産と出ました。
そのエコーを見て旦那も私も諦めがつき、そして赤ちゃんのいないつわりのムカムカ感を早くなんとかしたいという気持ちになり、手術をすることに決めました。
掻爬(そうは)手術はものの15分くらいで終わりましたが、その後、毎月病院での血液検査でhCGの値が減っていくのを確認しながら、それは値が0になるまで1年間続きました。
そして完全にhCGが0になり、次の妊娠の許可が出てからすぐにまた自然妊娠しましたが、初期の段階で出血が続き、そのまま5週で化学流産となりました。
胞状奇胎は習慣性流産や不育症などとは関係がなく、自然発生的に出るものだからと聞いていましたが、次の妊娠も流産になってしまったことで、これは私の体に何か原因があるのかもしれないと思い始めました。
その時私は33才になっていたことや、私の母親も流産の経験があることなどから、原因を知りたいということと、妊娠から出産まで順調にいくための何か手助けがほしいと思ったことから、不妊治療専門の病院の門を叩くことにしたのです。