泰葉の不妊原因と治療法【不妊治療した芸能人】
還暦前の婚約会見において「妊活子作り宣言」をした泰葉さん
泰葉さんは、初代林家三平さんの娘で、春風亭小朝さんの元妻であり、タレント、プロデューサー、シンガーソングライターでもあります。
そんな泰葉さんは還暦が近づいていますが、婚約会見において「妊活子作り宣言」をしています。
泰葉さんは1961年1月17日に東京都台東区で生まれました。
泰葉さんは、台東区立根岸小学校、台東区立忍岡中学校を経て、東京都立芸術高等学校を卒業しています。
その後、音大への進学を目指しますが失敗。そのため、幼少の頃から学んでいたクラシックの道から転向し、ジャズやポピュラー歌手を志すようになります。
そして、泰葉さんはシンガーソングライターとして、現在のユニバーサルミュージックであるポリドール・レコードより「フライディ・チャイナタウン」で1981年にデビューを果たします。
また、少女隊さんに「YES,IT’S MY HEART」という曲を、松本伊代さんに「夏のRELIFE」という曲を提供しており、アーティストへの楽曲提供の活動も行っていました。
タレント活動としては、日本テレビ系列の「午後は○○おもいッきりテレビ」の初代アシスタント司会を務めるなどをしています。
その後、泰葉さんは春風亭小朝さんと婚約。
1988年4月には桐朋学園大学音楽部に、春風亭小朝さんの援助を受けて入学します。
そして1988年6月、泰葉さんと春風亭小朝さんは結婚します。
しかし、泰葉さんには寝坊癖があったため、この桐朋学園大学音楽部への出席が困難となってしまいました。
そのため、泰葉さんはこの桐朋学園大学音楽部を、たった3ヶ月ほどで退学してしまいます。
この退学後、泰葉さん自身は芸能界を引退しました。
そして、春風亭小朝さんのマネージメントを、春風亭小朝さんの事務所である「春々堂」の社長として務めるようになります。
その後、泰葉さんは春風亭小朝さんと離婚
離婚会見を帝国ホテルの宴会場で2007年11月12日に開いています。この記者会見で久々に公の場に姿を見せた泰葉さんは、慰謝料が1億5千万円であることなどを赤裸々に語っています。
また、2008年には著書「開運離婚」を出版し、この著書の中で春風亭小朝さんとの夫婦生活や離婚の経緯などを詳しく綴っています。
イラン人で会社経営者の方との婚約を発表
そんな泰葉さんは2017年9月20日に、メィヒディ・カーゼンプールさんという、イラン人で会社経営者の方との婚約を発表しました。
そして、その会見時に前述の「妊活子作り宣言」を行ったのです。
泰葉さんはこの2017年9月20日時点で既に56歳になっていましたが、「女性として、どうしても子どもを作りたい。たくさんの子どもを育てたい。」と妊活への意欲を表明しました。
その婚約会見から1ヶ月後に再び開かれた会見で、泰葉さんは私のお腹にはもう卵子が無いので、人工授精でお腹に入れるという形で進めるということを話しています。
おそらく不妊症検査を行い、卵子が無いと診断され、人工授精を選ばざるをえなかったのではないかと推測されます。
このようにやはり泰葉さんのような高齢の方の妊活は難しいようです。
しかし、泰葉さんの夫であるメィヒディさんの親戚が高齢出産をしていること、インド人女性が72歳で出産をしたという記事を見て、自分で出産することに前向きになっているようです。
これからも大変なことが多いとは思いますが、是非頑張ってほしいなと思います。