東国原英夫の不妊原因と治療法【不妊治療した芸能人】
東国原英夫さんは、不妊治療によって子供を授かったことを公表しています。
東国原英夫さんは、元衆議院議員で、第17代宮崎県知事を務めたこともある、日本の政治評論家でタレントでもあります。
そんな東国原英夫さんは、不妊治療によって子供を授かったことを公表しています。
東国原英夫さんは、1957年9月16日に宮崎県都城市で生まれました。
1976年3月、東国原英夫さんは宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科を卒業し、同年4月に専修大学経済学部経済学科へ入学しています。
1980年3月に同学科を卒業した東国原英夫さんは、同年12月に「笑ってる場合ですよ!」というフジテレビのお昼のバラエティ番組内における「お笑い 君こそスターだ!」のコーナーに出場し、チャンピオンとなります。
ちなみに、その際は漫才を披露し、コンビ名は「オスカル・メスカル」だったそうです。
1981年1月、東国原英夫さんはビートたけしさん(ツービート)のボーヤ(付き人)となりますが、東国原英夫さんがビートたけしさんの最初の付き人だったそうです。
1983年9月には「ツーツーレロレロ」というコンビで「お笑いスター誕生!!」に出場し、見事に金賞を受賞しています。
東国原英夫さんは1985年、フリーアナウンサーであった片平きみよさんと結婚
しかし1989年に離婚してしまいます。
ただ、東国原英夫さんは女優であるかとうかずこさんと、1990年3月に再婚しています。
2000年4月、英語と小論文という社会人入試を受けた東国原英夫さんは、早稲田大学第二文学部社会人間系専修入学を果たし、2004年3月に無事に卒業しています。
そして、2004年4月には、今度は社会人AO入試を受け、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学していますが、2006年3月に同学科を中途退学しています。また同年の2月3日に、東国原英夫さんは前述のかとうかずこさんと離婚しています。
同年の12月13日には、所属事務所であるオフィス北野との契約を解消しましたので、これが事実上の芸能界引退となりました。2007年1月21日、有効票数266,807票を集め、東国原英夫さんは第17回宮崎県知事選挙に無所属で当選を果たしています。
その後、2011年1月20日に宮崎県知事を任期満了により退任した東国原英夫さんは、同年3月22日に東京都知事選挙に立候補することを表明します。
ただ、2011年4月10日に行われたこの東京都知事選挙で、東国原英夫さんは落選してしまいます。
その後、2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙において、東国原英夫さんは日本維新の会に所属して初当選を果たします。
しかし、2013年12月17日に日本維新の会を離党した東国原英夫さんは、同時に衆議院議員も辞職します。
そして、2014年9月16日、20歳年下の一般女性と入籍したことを、東国原英夫さん自身のツィッター上で公表しました。
東国原英夫さんは、2017年10月5日に前述の夫人との間に男の子を授かりました。
そして、このことを公表する際に、自身が不妊治療を受けていたことも公表したです。
その時に東国原英夫さんは、子供を作ることは結婚時からの妻との約束であったこと、60歳でまさか新たな子供の親になるとは思っていなかったこと、そして不妊治療は思ったより大変であったことなど語っています。
この不妊治療の詳細については公表されていませんが、東国原英夫さんは不妊治療を受ける過程で、日本が抱える少子高齢化の問題を考えたのだそうです。
今後、もし東国原英夫さんが再び政治家に復帰することがあったのならば、是非このような問題に向き合っていってほしいなと思います。