卵巣嚢腫の手術の果てに奇跡的に自然妊娠【不妊治療体験ブログ】
年上の旦那と再婚し、海外で不妊治療
歳の大分離れた主人と恋に落ち、海外で新婚生活を始めました。
彼は亡くなった奥様の間に既に成人した子供がいたのですが、私の強い希望を理解し、子供を作ることに賛成してくれました。
若い時は思いがけず妊娠してしまうことが無いようにと細心の注意を払ってきたが、いざ避妊ピルの服用を停止してもなかなか妊娠の兆候が現れない。
インターネット等で調べたタイミング療法から始めたが、毎月憎たらしい位きっちりと月経が来てしまうのです。
でもまだ半年だから。。。
がやがて一年となり、少し心もとなく思い始めていた私をみて、主人が自ら生殖能力の検査を受けに行ってくれましたが、結果は異常なしでした。
35歳を過ぎて、子宮内膜症も悪化・・・更に卵巣嚢腫も・・・
私も三十五を過ぎていて、もともと内膜症がひどかったので、これ以上のんきに構えていることは得策でないと考え、不妊を専門にしている婦人科を受診しました。
ホルモン検査は、異常なしだが、卵巣にのう腫があることがわかったのです。
担当医はこれが100%不妊の原因ではないかもしれないが、より進んだ不妊治療を始めるにあたり、摘出することを勧められ、旦那と相談し、手術を受ける事にしたのです。
手術は無事に終わり、手術後、のう腫が育つことがないよう、六ヶ月間月経を止めるホルモン注射を打つことになりました。
大分強い更年期症状が副作用として現れるかもしれないと忠告されたのですが、実際本当にひどかった事を今でも思い出します。
ほんの些細なことでもいらいらし、零下三度でも、急に服を脱ぎたしたくなる位暑くなる。
そしてその癇癪持ち期間がようやく終わると、担当医に向こう数カ月程子宮が妊娠するのに望ましい状態にあるので、その間出来るだけリラックスして夫婦生活を楽しみなさいと言われた。
一体どうしたらリラックスなんて出来るだろうと思いながら、主人にはあたかもそれが義務であるかのように振る舞い、仕事だと頭では理解しながらも排卵日周辺の夜に出張があったり帰宅が遅くなったりするとすこぶる機嫌が悪くなり、夫婦生活を楽しむどころではなくなってしまっていた。
落ち込む日々を支えてくれる旦那
今から思うに主人もそんな状態が一年以上も続きつくづくうんざりしていただろうが、特に愚痴をこぼすこともなく、かといって慰めてくれるわけでもありませんでした。
ただ、妊娠マーカーを見て肩を落としている私をいつもそっと抱きしめてくれていたのです。
そんな中、彼の提案で夏に一カ月程の長旅に出ることになりました。
そして旅行から帰ってきた後、友人から紹介されたバンコクにあるIVFで有名な先生のもとで治療を始めることになっていました。
それまでは自然妊娠にこだわっていたが、結果的に子供が出来るのならそうでなくてもいいとふっきれて気が楽になったのを思い出します。
加入保険が不妊治療の支払いに対応可能だったのもあるだろうが、私を元気づけようとしてくれていたのだろう、普段より少し贅沢な旅行を計画してくれていました。
実際、旅行中は排卵日云々を忘れ、本当にひさしぶりにとても楽しい時間を主人と過ごせる事が出来ました。
道中、可愛らしいこうのとりのぬいぐるみを買って、ずっと自身のバッグに忍ばせていました。
治療が成功し、妊娠を伝える時に彼に渡そうと思っていたのです。
奇跡的に妊娠
結果的に何が功を奏したのかわかりませんが、治療が始まる前日にそのこうのとりは主人の手に渡ることになったのです。
IVFを行う前に、自然妊娠が発覚したのでした。
治療中、一番大切なのはいろいろな意味で頑張りすぎない、そして思いつめた気持ちを忘れた頃にふと上手くいくことが多いようだ、と不妊治療が成功した友人達によく言われた。
悟りでも開きなさいということか、と少し卑屈になっていた私は頭を悩ませていたが、結局同じようなことを自身の友人に話すことが多い今日この頃だ。